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「住まいは文化」は、松下電工とKBS京都により制作したシリーズ企画です。大工や建具職人など、伝統的な建築技術を持った職人たちが高齢化するのにしたがい、失われていく住まいの知恵や文化・技術を、日本全国の伝統的な家屋を訪ねる中でまとめています。貴重な文化遺産として保存するシリーズ本来の意図はもちろん、「和」のインテリアが日本だけでなく、欧米などでも注目される中で、温故知新の参考例として、現代、未来の家づくりに活かせればと考えています。


津軽藩主をもてなした奥座敷。この座敷へは内玄関が設けられており、身分の高い武士の出入りに使われた。脇には警護の武士用の控え部屋がついている。凝った意匠の釘隠しや井桁くずしの欄間など、細部の仕上げにも手間がかけられている。


  青森県弘前市は津軽藩10万石の中心地として、17世紀初頭から260年間余にわたって栄えた城下町です。明治維新ではいち早く官軍についたため、戦火を受けずに歴史的な町並みを今に伝えています。石場家を含む旧家のある地域は、国の伝統的建造物保存地区に指定されています。弘前城の城門を出てすぐの四ツ辻に面した石場家は、代々藩に出入りしてきた商家です。当時は「まるせ」という屋号を称し、藁工芸品や荒物を商っていました。現存する石場家の建物は、江戸後期の建築と考えられます。津軽地方では珍しい商家の遺構として、1973年に国の重要文化財に指定されました。

石場家は、かつて大名も訪れたという格式のある屋敷で、重厚な印象の入母屋造(※1)、妻入(※2)の構造です。当初は薄い木の皮を重ねた柾葺(まさぶき)でしたが、明治時代から鉄板で葺かれた屋根になっています。重量感のある梁や柱は、当時の武家屋敷を解体したときの古材を利用したもので、馬止めの輪が残っているなど、物を大切にした江戸時代の精神を垣間見ることができます。

石場家の特色として、冬の豪雪に耐えるための工夫があちこちに見られます。ひとつは風雪を避けるために軒下に作った「こみせ」と呼ばれる通路です。軒先に冬場だけ壁を立てて、歩道を確保するためのものです。梁や柱も屋根に積もった雪の重量を分散しやすい構造になっており、雪国である津軽地方では、旧家で見かける広い三和土(たたき)のことを「庭」と呼びます。これは、単なるお勝手のことではなく、井戸や土蔵まで造られた建物内部の土間のことです。戸外での生活ができない冬場の生活を支えています。

また、石場家には、商いの場であった店部分と生活の場であった土間や居間とは違った雰囲気の座敷があります。武士を相手とする商売もあったため、身分の高い武士を迎えるための格式のある造りになっているのです。床の間は天袋や違い棚、地袋と武家屋敷にみられるような構造です。天井や柱は「浮杢づくり」という砂で磨き上げた手間のかかる手法で仕上げられており、贅を尽くしています。

江戸時代の建築様式を今に伝える石場家は、保存された旧跡としてではなく、住まいとして使われてきました。昭和、平成とこの家で酒販店が営まれています。国の重要文化財でありながら、現実の生活で使われている生きた建物であることも特徴です。


(※1) いりもや 上部は切妻(きりづま)のように二方へ勾配があり、下部は寄棟造のように四方へ勾配がある屋根の形をもつ家の造り。
(※2) 建物の長手方向の端である妻側に出入口を設けて正面とする建築の様式。


「こみせ」は、「こもひ」とも呼ばれ、豪雪地域ならではの知恵。軒の張り出しが大きく、冬場に右側の柱に板戸をはめることで、アーケードのような通路ができる。
正面から眺める石場家。桁行16.3m、梁間17.2mと建築時の勢いを感じさせる。


「庭」と呼ばれる三和土には、井戸が掘られている。消石灰と土、苦汁をまぜた三和土は、土ぼこりがたちにくく、水にも強く、台所仕事には最適。


天井の梁には、「年縄」と呼ばれる縁起物の縄が巻かれている。しめ縄のように、1年に一本の縄で3巻きしてゆく慣わしだという。


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