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1980年代、女性ポップロックシンガーの先駆者として、「ロックの女王」「総立ちのTAKAKO」と呼ばれた白井貴子さんは、日本のロックシーンを切り開いてきました。また一方で彼女は、インテリア、建築について関心が深いことでも知られています。エコロジカルな自然の力を生かした創作環境に自らを置き、新しいロックの創造に挑む白井貴子さんに、自然、環境、音楽、そして暮らしについて伺いました。
 
「エコロジック住宅から、美しい地球のエネルギーがいっぱい詰まった音楽を皆さんにお届けしたい」と語る白井さん。
[プロフィール]
神奈川県藤沢市出身。フェリス女学院短期大学音楽科卒業。1981年CBSソニーからデビュー。年間100本を超えるハードなライブパフォーマンスから「ロックの女王」と呼ばれ、「Chance!」のヒットをきっかけに、女性ポップロックシンガーの先駆者的存在となる。1988年、充電のため音楽的母国であるイギリス・ロンドンへ。帰国後、テレビ番組のレポーター等で活躍。1998年、鎌倉にオリジナルレーベル「ROD」設立。自宅のリビングで録音されたアルバム「LIVING」「HANA」リリース。現在、鎌倉を拠点とした音楽活動を中心に、環境問題、国際協力のイベント等への参加、CM、ナレーション等、多方面で活躍する傍ら、エコロジック住宅&スタジオの建設準備中。
 



 

――事務所の内装を白井さんご自身がなさったということですが、もともと興味がおありだったのですか?

私は部屋の飾り付けをしたりすることが大好きなんです。ショウルームとか、ショーウインドーを見たりするのも好きで、飾りつけをしている所を見たりすると、つい手伝いたくなっちゃう。
内装をしたりすることも、子供の頃からの延長といった感じです。牛乳屋さんで牛乳瓶を入れる木箱をもらってきたり、おばあちゃんに古い卓袱台(ちゃぶだい)や箪笥(たんす)をもらったりして、学校がお休みの日にそれらをリメイクしていました。ビートルズやローリングストーンズといった大好きな音楽を聴きながら、ペンキで色を塗ったり、それらの配置を考えて自分の部屋をコーディネートしていくのが楽しかった。中学生の頃には、かなり手作り感のある部屋ができていました。
今は、色々な女性誌がありますが、当時は女性誌といえば、「an・an」とか「non-no」が主流でしたから、インテリア関係のページがある度に雑誌を買い、しかも自分の好きなページは切り抜いてファイリングをしていました。そのファイルは今もしっかり持っています。
その頃、子供心というか、乙女心に、いつか北欧に行ってみたいとか、ヨーロッパのアンティークの家具を見てみたいという様な事を夢見ていました。

――インテリアは洋風がお好きだったのですか?

和風のものも好きですよ。陶器とかも好きで今も陶芸を趣味にしているくらいですから。ただ、当時の私は、音楽も含め、憧れは外国に向いていたのかもしれません。

 

 

――何度か引越しをされていますが、住む場所によって暮らし方に影響を受けたりされましたか?

私は中学・高校時代を京都で過ごしました。ちょうどインテリアに興味を持ちだし、ビートルズを始め、色々な音楽を聴き始めた時期です。その時に住んでいた場所が京都だったということは、私にとって、本当にラッキーなことだったと思います。
というのも、毎日の生活の中で、世界レベルの素晴らしいものがたくさん目に入ってくるわけです。色々な事にアンテナを張り巡らせている多感な時期にそういった本物に触れられたということが、私の感性を育ててくれたという気がします。
有名なお寺はもちろん、小路を入ると、素敵な喫茶店、工具屋さん、染物屋さんなどがある。どこをみても素敵な物ばかり。そんな中で、高校の通学路になっていた祇園を通る度、バスの中から「素敵だな」と思いながら毎日見ていた“ちょうちん”がありました。すごく欲しくてね。ある日、学校帰りにバスを途中下車してお店の前を通り、値段を調べたところ、3,800円位でした。思っていたほど高くなくて「これなら買える」と思い、早速買いました。そのちょうちんは、なんと世界的に有名な彫刻家、イサム・ノグチさんのデザインでした。
ずっと欲しかったからうれしくてね。家に帰って電気を吊るしたりしてそのちょうちんに合うよう、部屋のコーディネートを一所懸命考えて・・・今、思えば、高校生の小娘が自分の部屋にイサム・ノグチのちょうちんを吊るしているなんて、“なんて生意気な”と思いますが、そういう環境にあったということは、恵まれていたと思います。
また、京都という土地は、ちょっと足を伸ばせば神戸があり、素敵な洋館が立ち並んでいるわけでしょ。独特の雰囲気が大好きで、休日になると家族を引き連れて神戸の洋館巡りをしていました。

 
四国の工房で即注文してしまったオリジナルチェア。 TAKAKO SHIRAI のネーム入り。

 

――ロンドンでも生活されていますよね。

「自分の大好きなアーティストが生まれた街で、本物の白井貴子のロックミュージックを作ろう」と思ってロンドンに行きました。ですから、借り物の家に住んでは駄目だと思い、自分の家で地に足をつけて生活をしようと、洋館を買ってしまったんです。洋館といっても、日本で言うマンションです。
日本にいた時には、「ロックミュージックは畳の上じゃなく、靴を履いて作るものだ!!」なんて思っていて、生活様式からスタイリッシュにロックしようと意気込んで買った家でしたが、生活し始めて一週間もしないうちに、「部屋が汚れる」と言って靴を脱ぎ、スリッパを買ってしまいました。自分でも予測していなかった“白井貴子の中にある東洋人的DNA”がいきなり発覚してしまったという感じです(笑)。
そこで自分の本性を思い知ったというか、30歳を目前に、今さらイギリス人にはなれないということに気付いたわけです。だったら、日本人である私を生かした音楽を作らなければ、親にもらったこの全てを無駄にすることになると分かりました。
日本の文化をもっと吸い取り、素直に音楽を生み出せるようにしなければいけないと。

――帰国後、なぜ鎌倉を拠点にされたのですか?

私が子供の頃に、元気いっぱいに駆け回っていた湘南の大地の風景が、鎌倉にはまだたくさん残っていたということが大きいですね。
それと、多感な時期を過ごした京都の環境に近いということですね。日本人的な情緒というものも大切にしていきたいと思ったので。

 

 

――2年前の2002年にフィンランドに留学しようとされたとか?

本格的に建築を学ぶにはちょっと遅いかもしれないと思ったので、建築学や、インテリアコーディネートなどを私なりに学べたらいいなと思い、現地の学校も訪ねて、入学書までもらってきました。でも、戦争が起こり、世の中の流れがちょっと危ない気配が出てきたりして、「こんな時に動く必要はないのでは」という声もあったり、戦争だけでなくフィンランドでは冬、夜の時間も長く、誰も知らない国で一人で過ごすのはちょっと・・・と思って。留学計画は取りやめになっちゃいました。

――本格的に建築学を学びたいと思われたキッカケは?

“好きだ”というだけでは、どうしてもクリアできない部分を感じたことがキッカケです。
実は今、自分なりのエコロジック住宅を建てようと思っています。私の構想では、そこにスタジオを造り、レコーディングの時に消費する膨大な電力を少しでも太陽光発電を利用してまかなう、内装等もなるべく再利用できる物で飾りつけをしてみるというような自然にやさしい手作り感のある住宅をイメージしています。
そこで、建築家の義兄に色々と協力してもらっているのです。ミーティングを重ねていくと、内容が深くなっていきますよね。すると、当然ながら、素人の私にはわからないことが多いと気付かされます。そんな時、建築学を学んで知識を持っていれば、義兄とのミーティングももっとスムーズに行くだろうと思ったのです。今のままでは、分からない事がある度に「これ何?」って義兄に聞いてばかりで、まるで授業を受けているみたいで義兄に気の毒で・・・(笑)。

 
流木とウキを再利用した手作りランプ。エコロジック住宅には、自然の恵みからできた多くの作品が飾られる予定。

 

――もう少しエコロジック住宅の建設にいたった経緯をお話ください。

「野生のマーガレット」という私の中で人生のテーマになっている一輪の花があります。1980年代、日本ではまだ女性がロックを歌うということの認知度は低く、だからこそ何とかカッコいい女のロックをやろうと事務所の人たちも一丸となっていました。
そして「ロックの女王」「総立ちのTAKAKO」等と言われるようになり、ハードなスケジュールをこなしていく中で、頑張り過ぎてしまったのですね。いつの間にか心身ともにボロボロになってしまったのです。「このままでは、まずいな。これからも一生音楽を続けていくにはどうしたらいいだろう?こんなエネルギーの使い方をしていたらどう考えても私は一生持たない」と思うほど衰弱していました。
そんな時、レコーディングのために訪れたイギリスで、私の足元に一輪の野生のマーガレットが咲いていました。その花を見たときに、「たとえ地味でも足元から凛と大地に根ざしてしっかり、そして空を見てやさしく咲いていれば、私もいい音楽が生み落とせるだろうし、応援してくれている皆を楽しませてあげることもできるのではないか」そう気付いたのです。車の運転に例えるとしたら、ブンブン物凄い音でエンジンを吹かしながら走るのが、1980年代の私のスタイルだったと思いますが、これからは、もう少し燃費よく、スマートで綺麗な走り方をするようにシフトして行こうと。

 
白井さんのサインの中央にはいつも野生のマーガレットが凛と咲いている。

――どんなことを変えていったのですか?

まず最初に始めたことは、自分の生活から無駄を省いていくことでした。忙しいと何でも浪費型になってしまっていて、自分の部屋を眺めてみても節約どころか、バシバシ物を買っては捨てることの繰り返し。食生活にしても、手作りする時間なんて無いからインスタントのものが多くなっていました。こんなことではいけないと。「もっと上を、もっと前を」ではなく、自分の足元からしっかりと把握していかなければと思い、生まれ故郷でもある湘南に移り住むことにしました。

 

――湘南の海に移り住んで生活はどのように変わりましたか?

ある日、近所の海に行ってみると、沢山のゴミが落ちていました。そのゴミを1つ1つ見てみると、きれいなガラス玉があったりして感動があるんですよ。
湘南では、「Bear Footコンサート」というイベントがあって、「裸足で歩ける浜を作りましょう」を合言葉に、海のゴミを拾ってライブのチケットに変えるというイベントがあり、そのイベントに参加させてもらっているうちに、海のゴミを拾うことが当たり前になってきました。そして、素敵なゴミが集まったからそれで何かを作ろうかな?という感じで、色々な小物を作るようになりました。それが、私とビーチコーミングとの出会いです。ゴミから生まれた小物たちを、毎日の生活に取り入れていくことで、ゴミ拾いが長続きすることにつながっていったらいいなあと思い、日々の生活の中で、自然にそういうことをするようになっていきました。

※ビーチコーミング:海岸に漂着した流木や貝殻、ガラスの破片等、いわゆる海岸のゴミを拾い集めながら、海の自然や文化に親しもうという活動。「コーム」の語源は髪をとかす櫛のコームで、浜辺を手の櫛でとかして楽しもうというもの。拾ったものを使ってオブジェを造る人も多い。


   
空缶、流木、陶器の破片で作ったキャンドルスタンド。 コーラの空瓶の
オブジェ。
流木に陶器・ガラスの破片を
飾りつけた音符のオブジェ。
電球に流木を飾りつけた
オリジナルライト。

――それが、事務所にもたくさん飾られているビーチコーミングの作品ですね。

もう朽ち果てて、見る人によってはただのゴミでしかないものが、見方を変えるとこんなに面白いものになるんですよね。そういう変化していく過程を楽しみながら何かを作り、出来上がったものを部屋に飾って楽しむ。それを見た周りの人が「おもしろいね」なんて言ってくれたりして。ゴミがオブジェになっていく分岐点みたいな感じが好きですね。
湘南に住んでから出したアルバム(「LIVING」「HANA」)のジャケットや、オリジナルレーベルRODのロゴなど、みんなビーチコーミングから生まれたものです。結構皆が面白がってくれていますし、事務所のライトとかも拾ってきた流木をアレンジして作りました。最近のライブでも、ステージにビーチコーミングでできたお気に入りのものを自分で飾ったりしています。

――最後に、エコロジック住宅のイメージとは?

無国籍な感じがいいとは思っています。和風とか洋風とかではなく、言ってみれば“TAKAKO風”。私が作りたいと思っている音楽に近い家ができることが理想ですね。
2年後の2006年にデビュー25周年を控え、それまでには、TAKAKO風エコロジック住宅から、美しい地球のエネルギーがいっぱい詰まった音楽を皆さんにお届けできると思います。

 

アルバムジャケットのタイトルなどはビーチコーミングで集めた海の宝物から創られた。(左:「LIVING」、右:「HANA」)

   

※当コンテンツでは、略称を用いています。敬称は略させていただきます。


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