一覧へ


中村好文さんは学生のころ、生涯の仕事として住宅設計と家具デザインを志しました。
独立以来20数年、これまでに優に百軒を越える住宅を設計、多種多様な家具をデザインされてきました。旅と料理を愛する軽妙洒脱なエッセイストとしても知られ、著書には、遊び心、ゆとり、自然体といった言葉がのぞきます。「ジーンズのような普段着の家が理想」と話される中村さんに、肩肘を張らない普段着の暮らし、素顔の住まいへの思いを伺ってみました。
 
[プロフィール]
武蔵野美術大学建築学科卒業。1972〜74年宍道建築設計事務所。1975年東京都立品川職業訓練校木工科。1976〜80年、吉村順三設計事務所。1981年にレミングハウス設立。1987年、「三谷さんの家」で第1回吉岡賞受賞。1993年、「諸職の技術を生かした住宅」で第18回吉田五十八賞特別賞受賞。
現在、日本大学生産工学部居住空間デザインコース教授。著書に「住宅巡礼」(新潮社)、「普段着の住宅術」(王国社)、「住宅読本」(新潮社)などがある。


 

――東京・松下電工 汐留ミュージアムで2004年6月19日から8月10日まで、 「建築家の流儀 中村好文 仕事の周辺」展が開かれていました。建築家としての住まいへのこだわり、そこに住む人への思いをお聞きしました。

 

――なぜ「住まい」にこだわってきたのですか?

住まいと暮らしが好きだから、というのが一番の理由です。
僕は子供のころから木登りが好きで、よく海岸の松林の中で、木の上に寝椅子みたいなものを作り付けたり、枝振りを利用して板切れや古毛布で巣のようなものを造ったりして愉しんでいました。「樹上生活者」だったわけです。同時に家にいるときは、押入れに自分の空間をつくって、そこに電気スタンドを持ち込んで独り本を読むという「あなぐら派」でもありました。
 つまり僕は自分で居心地のよい場所を探し出したり、作り出したりして、そこにいるのが好きなちょっと変わった子供でした。こうした子供のころの傾向がそのまま、今の建築家という仕事につながっています。変わったのは、自分の居心地だけなく、人様の居心地にまで関わる仕事になったということです。
 居心地のいい場所を探したり、つくったりする住宅設計という仕事は、考えれば考えるほど、やればやるほど深くて面白い。僕の性格にも合っています。好きだから、夢中になるし、手間も時間もかかる。その分、営利の仕事からは遠くなります。それでも細々と事務所を維持できているのですから、僕は好きなことで飯が食えている幸せな人間ということになります。

――どんな家がいいですか?

僕は住まいを考える際に、「普段着」ということを考えます。よそ行きでない、自分たちの暮らしに合わせて居心地よく住める住宅という意味です。僕は住む人が普段着のまま、そこでリラックスして住めるということをとても大切にしています。
反対に、人に見せることをどこかで意識しているようなよそ行きの家は、得意ではないかもしれません。家に住まわされるのではなく、自由に自然に暮らせる。背伸びしない。萎縮しない。長い年月暮らしていける、それでいて“だらけない”。365日快適に暮らせる家が理想だと思っています。
 言葉を変えれば、パーティーに着ていく服ではなく、「ジーンズのような家」が理想なのです。ジーンズは百年以上の歴史がありながら、ジェームス・ディーンがはいても、僕らがはいても本質的には変わらない。デニムという素材の丈夫でしっかりとした存在感、作業着として使える普遍性、使えば使うほど出てくる風合いや、はき続けることによって増してくるフィット感や愛着がわいてくるところが魅力なんです。
 ジーンズはだれもが自分の流儀ではくことができて、それでいてだれにでも通じる衣服としての普遍性があります。ジーンズの特徴を、住まいに置き換えたら、素晴らしい普段着の住まいができると思います。ですから、僕は、お仕着せでない、気取らない住まいの大切さを、クライアントにわかってもらおうとするとき、よく普段着やジーンズの話をするのです。

――クライアントをどのように理解するのですか?

 これまで僕に設計を依頼してくれた人は、画家、彫刻家、デザイナー、カメラマン、編集者など、実際にものづくりに携わっている人が多かったので、作ってほしい家の要望も具体的ではっきりしていました。自分で自分の好みや主張が言葉や形としてわかっているからです。
 また同年代の人が多いためか、時代感覚や好みも理解しやすい。これが極端に若い人だったり、高齢者だったりすると、お互いがお互いをどこかで「わかってもらえないのでは?」と疑心暗鬼になります。打ち合わせを重ねても信頼感や共通理解を築くのが難しかったりします。設計家とクライアントの出会いは、どこかお見合いに似ていますから、どうしても相性というものがあります。合わなかったら、できるだけ早い段階で気づいて、「すみません」というしかありません。それを躊躇するとお互いに後で嫌な思いをすることになります。合わないなと感じたら、無理をせずに途中で切り上げることも大切なことだと思っています。
 クライアントの要望は、はっきり言葉として表されることもあるし、言葉にならない部分が大切なこともあります。打ち合わせをしながら、食事の仕方や話し方、家族の会話が設計の重要なヒントになることがあります。ゆっくりお酒を飲む人は長時間座ることになるから、テーブルは低めの方がいいし、家で魚料理を楽しむ人には、広めのキッチントップとシンクを設計します。クライアントが何に心地よさを感じているのかを、建築家は身体全体で感じ、理解する必要があります。ですから建築家は人の心を理解する心理学者のようでなければならないというのが僕の持論で、若い事務所の所員や学生たちにはよくそのことを言います。人の暮らしを理解するということは、とても想像力がいることです。
 建築家は構造や設備、材料、性能などのプロフェッショナルであることはもちろんですが、言葉にならないクライアントの潜在的な要望も取り入れて、それをカタチにしていくことが、仕事なのです。

清水高原の家   模型
 
山の斜面を断面計画取り入れた小さな山荘。
建物が建つことで森の中に人の住む暖かい気配が生まれた。
  クライアントは設計図だけでは理解しにくい。模型を作って具体的に説明していく。

 

――家具も設計されるのはなぜですか?

設計するときは、箪笥や椅子、テーブル、障子など家具や建具も一緒にデザインします。家具や建具も生活空間に場をつくりだす重要な要素だと考えているからです。
 僕自身は「木」が好きで家具職人になるための学校にも行きましたが、素材は「木」でなければならないというようには考えていません。大切なのは、住む人にとって何が心地よいかということです。部屋に魅力的な箪笥を置くだけで、床の間のような場を感じたリ、使いやすいキッチンやテーブルをつくることで、家族の団欒の風景が変わったりします。いい家をつくろうと思えば、自然に家具や建具にもこだわりたくなります。家具や建具を置くことで、居心地の良さが増し、さりげなく、それでいて落ち着きや雰囲気のある家になればと考えています。
 結局、家を考えるときに僕が頼りにしているのは、自分自身の皮膚感覚です。その空間の中にいる時に感じる触覚的な気持ちの良さを大切にしています。そこに住む人たちと営まれる暮らしを、穏やかにつつむ「美しい巣」のようなものでありながら、気品を感じる家でありたいのです。住宅の設計というのは、そうした居心地のよさを実現するための手段ですから、居心地のいい住まいに必要なあらゆるものに目を配っていたいのです。

キッチンストゥール   y1-Chest   FRATINO
   
台所仕事の合間、ちょこっと腰掛けることができる。椅子があることで、キッチンにも居場所が生まれる。   箪笥を置くだけで部屋に「床の間的」なコーナーが生まれる。   イタリアでは僧院の食堂にある大テーブルをフラティーノと呼ぶ。簡素ながら合理的で堅牢な構造に惹かれ、同種のテーブルがつくられた。
         
DINING CHAIR   NAYAN‐76(ストーヴ暖炉)   桐タンス構成(COMPOSITION)
   
シンプルで座り心地が良く、値段も手頃というダイニングチェアを目指してデザインされた。   炎や煙など燃焼の自然法則に逆らわず、「いかに効率の良い形態で使いやすく美しいか」にこだわり追求されている。   中村氏のお母様の形見の桐タンスを有効に再利用するために考案。古い桐タンスの汚れも傷もそのままにパッチワークのように組み合わせて再生している。
 
※当コンテンツでは、略称を用いています。敬称は略させていただきます。


一覧へ


バックナンバー