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作詞家時代は、小泉今日子の「100%男女交際」、吉川晃司の「ユー・ガッタ・チャンス」など、時代の雰囲気を見事に切り取ったヒット作品で知られた麻生圭子さんが、結婚を期に京都に移り住んで10年――。現在、京町家に住みながら、暮らしの中で実感した日本文化の魅力や奥深さについて、情報発信を続けておられます。“今”という時代に最も敏感なエッセイストが感じる京都の暮らし・町家の魅力などについて伺いました。
 
「京都で町家に出会い、日本文化を知ることはカルチャーショックでした」と語る麻生さん。
[プロフィール]
大分県日田市生まれ、東京育ち。1980年代に作詞家としてさまざまなヒット曲を手がけるが、1991年より作詞家を休業、執筆活動に入る。1996年に再婚、京都に移る。1999年、築70数年の小さな町家を借り、建築家の夫とともに、昔ながらの工法で、修復。現在はお気に入りの空間で、小さな生活を愉しんでいる。
京都に来てからの主な著書に、『東京育ちの京都案内』、『東京育ちの京町家暮らし』、『極楽のあまり風 京町家暮らしの四季』(文藝春秋)、『生活骨董』(PHPエル新書)『京都がくれた「小さな生活」』(集英社be文庫)など多数。




 

――東京から京都に移り住まれ、京町家で生活されるようになったいきさつをお教えください。

結婚を期に京都に移り住んで10年になります。最初は、便利なマンション住まいでした。ただマンションだと、家の中での生活は東京と変わらないんですよね。せっかく京都にいるのなら、京都でしか住めない家、体験できない暮らしをしたほうがいいんじゃないか、ということになったんですね。それから洛中で一般公開されている町家を見学したり、住んでいる方にお話を伺ったりして、勉強しながら、徐々に、その準備をしていったという感じです。もともと夫(建築家)が、西陣の町家再生、再利用の民間ボランティア活動に関わっていた、というのもあり、私たちにとってそれは自然な流れでした。

――実際に町家を見られたことが日本家屋に興味を持つきっかけになったのですね。

日本家屋というか、古民家ですね。例えば私が今、住んでいる家は昭和初期に建てられたものですが、私にとってはもう古民家の範疇なんですが、京都の人の感覚だと、新しいということになる。戦災がなかったですからね、明治期に建てられた家がざらに残っているわけです。
禅に、「雨洗風磨」という言葉があるんですが、まさにそれですね。古い家というのは、風格があるんです。また間取りには、先人たちの智恵がつまっている。あえて不便な暮らしをしても、京都からそれを学びたい、そう思ったんです。

 
土間に英国の骨董カフェテーブルと椅子を置いたこだわりのダイニングは、まさに和洋折衷のアンティークルーム。

 

――もともと「和」のものがお好きだったのですか?

古いもの、骨董は好きでしたが、特に「和」を意識していたわけではありません。どちらかといえば、西洋骨董のほうに興味がありました。
作詞家になる前のことですが、西ベルリンに暮らしていたことがあるんですね。ドイツは、天井高にしても、家具の大きさにしても日本とは違います。お風呂も洋バスだし(笑)、窓も木枠の上下に開けるもので、窓には花を植えることが義務づけられているんです。そう、赤い花ですね。そんな家に住んでみると、当時、“ウサギ小屋”と揶揄されていた日本の住宅事情に対して、情けなさみたいな感情が湧いてきて、西洋の石やレンガの家に憧れたものです。
帰国後、自分の部屋に、アンティークの家具を入れたりすると、家具の大きさと部屋の大きさ、造りが合わない。買ったはいいが・・・という失敗を繰り返しつつも、西洋的な生活に憧れるという暮らしをしていました。
でも、そのうちに、無理をしていた自分に気づいたのです。自分の部屋は、ヨーロッパのように天井も高くない、気候も高温多湿の日本では、同じ家を建てることはできない。それなのに西洋と同じ暮らしをしようとしていた、と・・・・・・。
そんな経験から、京都で町家を見ると、多くの素晴らしいところに気づきます。

 
町家版食器棚の水屋箪笥。

 

京都は三方を山に囲まれた盆地ですから、高温多湿で、夏は蒸し暑くて、冬は底冷えがします。徒然草にも、京都の家は夏向きに建てるべきだ、と書かれてあったりするくらい、昔の人も夏の蒸し暑さには閉口してたみたいなんですよ。でもだからこそ、少しでも涼しく暮らせるよう、間取りや暮らし方に智恵をしぼってきた。京都の町家というのは、そういう先人たちの智恵がつまっているんですね。
専門家から見ても、よくできていると言います。
マイナスの要因、気候のことだけでなく、町の家ですから、限られたところに、たくさんの家を建てることになります。今でいう税金みたいなものが間口に対して掛けられたこともあり、京都の家というのは、間口が狭く、奥に長い。「うなぎの寝床」などと言われる所以ですね。
そんな悪条件の中で、採光や風通し、美しさまで考えながら、出来上がったのが、この京町家なんですね。風情のある坪庭は、採光や風通しのためです。廊下というものがなく、間取りはいたってシンプル。建具を外せば、表から奥まで一本の道のようになります。夏、建具替えをすれば、風が通る仕組みになってるんですね。あるいは、座敷、次の間の間仕切りを払えば、大広間としても使える。
襖とか障子というのは軽いですから、私なんかでも簡単に取り外しができる。よくできてるなあ、と本当、思います。
昔は、貧乏くさい(笑)なんて、思ったりしたものですが、本物の襖、障子、土壁というのは、呼吸をしますから、マンションなんかでよく問題になったりする結露もありえない。夏は湿気を吸い取り、冬は吐き出してくれる。やさしい素材なんですね。
 
「京都に住みながらも観光客の目で情報発信を続けたい」という麻生さんの思いが詰まったエッセイ集。
『東京育ちの京町家暮らし』(文藝春秋)

 

――実際に町家の暮らしを始めて戸惑ったことはありますか?

「麻生さんには、絶対に無理、京都の蒸し暑さ、冬の冷たさをわかってへん」とさんざん言われました。
確かに、マンション暮らしに比べると、冬の土間の台所は底冷えするし、お手洗いやお風呂も別棟になっていますから、濡れ縁を通らないといけません。寒かったですよー。最初の冬はトイレに行くのがイヤになるほどでした(笑)。
でもね、寒いということは悪いことばかりではありません。例えば、寒い冬の朝「おはよう」と言うと、その言葉が白く見えるんです、吐く息が見えるからですけどね。これ、なかなか風情のあるものです。土間の台所では、白い湯気が吹き抜けの屋根裏までシューッと上がっていきますし、火鉢の鉄瓶から湯気が上がるさまも、美しいものです。あるいは、あたたかいということが、なにものにも代え難いごちそうになるんですね。冬場のお鍋のおいしいこと、身体の芯から温まる、お風呂もそうですね。それまで何とも感じなかったことなんですけどね。
寒さを堪えたものへの、ごほうび、ですね。
夏も同じですね、氷で冷やしただけのお茶が、素麺が、本当においしい、ありがたいんです。例えば京都の夏の食べ物、鱧ですが、鱧の落としなんかは、蒸し暑いところで食べると、そのおいしさは倍になる。白い色は目にも涼やかですし、淡泊な味も喉の通りがいい。
目食、ということを覚えました。
現代の便利な暮らし、というのは、確かにラクでいいんですが、そういう五感の遊びも排除されてしまうことを、現代人は認識していないと、と思います。

 
小さな“和”を感じさせる趣のある濡れ縁。

 

都会で便利な暮らしをしていると、季節の移り変わりを、あまり感じないまま時間が過ぎてしまいがちです。京都での、こういう暮らしは、季節との共存の上に成り立っていますから、四季の繊細な移り変わりを日々、感じることができます。
京都の人は3月になっても、なかなか春になったとは言わない。いやいや、まだお水取り(東大寺の修二会)が終わってへんとか、比良八荒が吹いてへんとか、そんなことを言って、それはそれは用心深い(笑)。言い換えれば、そのくらい春を心待ちにしているということですよね。実際、京都は盆地のせいか、3月は、三寒四温という言葉をそのまま、暦に写したような気候になるんです。
でもだからこそ水が温んでくると、本当にうれしい。春が来ただけで、幸せを感じたりして、本当、安上がりになりました(笑)。

 

今の家は10年ほど空家になっていて、土壁もぼろぼろ、柱も傷んだり、シロアリに喰われていたりしてましたので、住むに当たっては、修復工事が必要でした。
私も掃除だけでなく、職人さんに教えていただきながら、壁を塗ったり、漆を拭いたり、古色塗りといって、ベンガラと柿渋と墨を混ぜたものを塗ったり、という作業をやらせてもらいました。職人さんからは、ものを大切にする、という心を教えてもらったように思います。

 
「春が来るだけで幸せを感じる」と語る笑顔もほがらか。

 

土壁というのは、こすったりすれば、当然、傷がつきます。古くなったものは尚更です、ですからもたれかかる、なんてことはしちゃいけないんですね。町家を見学に行っていた頃、壁のそばに荷物を立て掛けて、私も、夫から手をばしっとはたかれたことがありました。本物の京壁というのは、ただの壁にあらず。傷をつけないように、大切にするのはもちろんのこと、京町家では見所でもあるんです。
私の友人なんか、まだ20代ですが、そういう家に生まれ育った人なので、「あの家は、土壁を眺めながら、酒が呑める」なんていう表現をしたりします。いい表現でしょう。花見と同じ、壁見酒。そういう情緒というのは、マネーゲームとか出世とかには、まったく役に立たないものなんでしょうけど、私は大切にしたいと思っています。じゃないと、ロボットみたいでしょう。
 
京都に住むようになり、和服で外出する機会が多くなったとか。

 

――町家の特長として台所が土間になっていますが、抵抗感はありませんでしたか?

いえ、土間は憧れでした。下駄をはいて、台所に立つ、そういう意味では西洋に似ています。ま、冬場は下から冷気が上がってくるんですが、ま、火を使うところですから、京都の人が脅かすほど、冷たい、寒いという感覚はありませんでした。
流しはステンレスでなく、80年前、左官屋さんがつくったジントギと言われる流しです。ま、古いものですから、長年、たわしで洗い続けてますから、表面がだいぶすり減って、ざらざらしてしまっていますし、見た目はあんまり、ま、きれいではありません。でも左官屋さんいわく、自浄作用を持っているんだそうです。木のまな板と同じですね。木のまな板のほうがプラスチックのまな板より、菌が繁殖しにくいの、ご存知でしょう。見た目の清潔さではないんですね。そのかわり労って使わないといけません。漂白剤は使いません。熱湯消毒だけです。でもそれで充分なんですね。いい意味で、「いいかげん・いい加減」で暮らすことを町家から教えてもらった気がします。

 
京都の町家では、「走り庭」と呼ばれる麻生さんご自慢の台所。

 

人間の目は、とてもよくできているもので、本物、いいものを見るうちに、ニセモノが目でわかるようになる。目が利くようになるんですね。職人さんの手で作った本物、というのは、壁にしろ、襖、畳にしろ、美しい。西洋人が京都のお寺などで心を奪われるのも、当然です。だって西洋の壁なんかより、装飾しなくても、百倍、美しいですもん。
最近、お茶を習っているのですが、ま、四十の手習いですから、遅きに失した感はあるんですが、でも、逆にこの歳になっていたから、楽しめるところもあるなあ、と思ったりもします。お茶というのは、日本文化がすべて凝縮されたものなんですね。お点前や、お作法だけでなく、茶室という建物、床の間の掛け軸、茶花、お茶事の際にもてなされる懐石(料理)、うつわ、今まで見聞きしてきたことが、一つにつながって、ぱーっと広がったような、そんな感動さえ、あるんですよ。
実は若葉の頃になったら、引っ越す予定なんです。今の家は期間限定でお借りしていたものなので。今度もまた町家なんですが、今度の家は、離れに本格的な茶室があるんです。これからまた修復工事に入らないといけないんですが、それもまた楽し、という感じです。
 
茶道をたしなむ麻生さんは、茶器の扱いも堂に入ったもの。

食文化も大切な伝統。最近はご夫婦で懐石料理も習っているとか。

 

――京都に暮らして思う日本文化との自然な関わり方とは?

「和風」という言葉は好きではありません。“○○風”では「もどき」ですから。
私は、京都の暮らしの中で古いものの素敵さを知りましたが、何でも古いものがよいというわけではないですよね。今は技術が進歩していて、とても便利な生活ができます。便利なことは暮らしの中に、取り入れていいと思うんです。例えば、都会で生活をするにはセキュリティ面がよいほうが安心ですし、高齢になれば、少しでも便利で安全な道具が多い方が暮らしやすいわけですから。
ただ、一方では、“○○風”という中庸なところで妥協するのではなく、せっかく日本に住んでいるのだから、日本本来の素晴らしいものを何か一つでも身の回りに置くということも大切なことだと思います。そうやって、自然と本物の「和」に接することが、癒しというか、ストレスを溜めないことにつながるように思います。無理をせず、普通の生活の中に自然に日本文化のよさを取り入れることで、心が和み、豊かな気持ちで暮らせるような気がします。

 
大島紬の着物は、義父より譲り受け、仕立て直したもの。



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