
|
沖縄の土地と人を愛してやまない演出家の宮本亜門さん。一目惚れした海辺に建てたご自宅は、いたるところに亜門流の演出がなされ、訪れた人の心を軽くし、幸せの息吹を吹き込みたいという想いが込められているとか。また、ご本人曰く、「この土地に、この家に住んだから夢だったブロードウェーにも進出できた」と言わしめるほどの大切な場所です。亜門さんの沖縄の家へのこだわりについて伺いました。
|
![]() |
|
|
「家は人をつくり、環境をつくり、次の時代に伝えていくもの」と語る亜門さん。 |
|
――
東京・銀座で生まれ育った亜門さんが沖縄に移住されたきっかけは?
僕は30代の終わりに精神的大混乱に陥っていました。宮本亜門という名前が世間に知られ、テレビや雑誌、コマーシャルなどに出演して自分の存在が世間にさらされる。本当の自分と世間に出る宮本亜門とのギャップに精神がどんどん萎縮してしまったのです。
僕はクリエイションをしたいはずなのに、そちらの方にも意識がいかず、何事にも自信がもてない。けれど、テレビの中には笑顔を振りまく僕がいる。「俺はいったい何をしたいのだ!?」と、自問自答の日々を過ごしていました。 手帳に次々とスケジュールが埋まることに何一つ喜びも無く、すべての仕事を辞めたい、人前に出るのも嫌、宮本亜門という名前も嫌、すべてを捨てて海外にでも行ってしまいたい。もう、“人生生きるか死ぬか”くらいの状態になってしまったのです。 そこで、事務所に1年間の休養期間を作ってもらいました。すべてがゼロに戻ったまっさらの状態の時に行ってみようと思った場所が、「沖縄」――。 そしてこの浜辺に出逢ってしまったのです。ボーっと海を眺めたり、日記を書いたり、散歩をしてみたり、何日間もそんなことをしているうちに「こんな贅沢があるんだ」と、自分の中で何かが変わり始めました。 |
沖縄の浜辺との出逢いについて語る亜門さん。
|
額縁に切った景色は、息を飲むほどの美しさ。
|
|
――独特の雰囲気のあるご自宅ですね。
この家は、いわゆる本土の日本風でも、沖縄風でもなく、“東南アジアの中の沖縄”というテーマのもとでつくりあげました。
目の前に広がる海の素晴らしさを最大限に意識してつくった家です。
――ダイニングから正面の景色を見た瞬間、時が止まり、まるで1枚の絵画を見ているようですね。
ダイニングをはじめ、窓はすべて“額縁を切る”という手法をとっています。 これは、舞台演出で用いる手法の応用で、窓を額縁に例えて景色をその中に入れ、1枚の絵として視覚に訴えるというものです。 1枚の絵として最高のバランスになるよう焦点を合わせて額縁を切った景色は、外でこの景色を見るよりもより趣深く、きれいに見えます。額縁をつくることで人の意識は改まり、漠然と景色を見るのではなく、視覚的に静止画として捉えるようになるという現象を活かした演出です。 近所の人が、「いつも見慣れた海なのに、亜門さんの家から見るとものすごくきれい」と言ってくれますが、これは、僕がこだわったちょっとした見せ方の工夫。この家のとても重要なポイントです。 |
|
――ダイニングから見える景色の中央にある岩が印象的ですね。
この家を建てる時、人間中心、建物中心という考え方は何かが違っている。
「自然を中心にした家づくりをしたい」というのが、僕と建築家の共通認識でした。 そこで、目の前の海にある大きな岩を中心に、この岩を拝むように家を建てたいと思い、建築家に伝えるとすぐに賛同してくれました。そしてできたのが、岩が組み込まれたように見える凹型のウッドデッキです。時間がある時にはウッドデッキに布団を敷いて昼寝をするのが、僕にとって至福の時です。 |
中央にある岩を中心に家を建てようと設計された凹型のウッドデッキ。(*)
|
|
――その他のこだわりの場所は?
茶室です。当初の予定では倉庫になる予定でしたが、こんな素晴らしい景色が見える場所を倉庫にするのはもったいない、何か個性のある部屋をつくりたいと考えていた時、仕事で銀閣寺を訪れる機会がありました。
銀閣寺東求堂の美しさに感動し、その時に伺った掛け軸の由来、襖を少し開ける、その先に自然が見える、そして淵がある。というお話からヒントを得て、“自然を見る掛け軸”をつくろうと考えました。 これもダイニングの額縁の応用ですが、イメージが浮かぶと、まるで舞台をつくるかのように想像力がかきたてられました。建築家とも常に連絡を取り合い、自然を見る掛け軸のある茶室が完成しました。
|
||||
|
――最初から景色を活かした家づくりを考えられていたのですか?
実を言うと、ここに至るまでには長い道のりがありまして…。最初から「額縁だ!!」とか、「岩が中心だ」と思ったわけではありません。建築家とも侃侃諤諤(かんかんがくがく)、多くのことを話し合いました。 あまりにも好きなこの土地を、偶然なのか必然なのか、僕が購入することになりました。当時、沖縄で映画の撮影をしていたこともあり、半年以上沖縄に滞在するなら土地もあることだし、この機会に早く家を建ててしまおうと考え、知り合いの若い建築家に設計を依頼し、現代的なデザインの設計図ができあがりました。 その時、「やはり、本土の人はそうやって家を考えるのか」と、ある沖縄の建築家の方が言われたという話が間接的に聞こえてきました。その言葉は僕にとって、いい意味でとてもショッキングでした。土地を買い、そこにさっさと家を建てる、「自分の都合に合わせて早く家を建てればいい」という発想自体が違うということなのです。 |
理想は生い茂った緑に覆われ、この場所の自然に溶け込むように建つ家。(*)
|
|
――家づくりに対する想いが違うということですか?
そうです。確かに、便利とか、時期とか、そういった時間的、物理的な理由が優先した家づくり計画でしたから、それを言われた時に言い返せない。その悔しさから、自分が愛して止まないこの土地をもっとよく見て、よく知ることから始めようと思いました。
建築家にも「僕も急ぎすぎたと思う。もっとこの土地をよく見て、しっかり風を感じてつくる家にしよう。時間がかかっても構わない、この土地に建つことに意味のある家に設計し直して欲しい」と頼み、それまでの設計図はボツ。すべて一からやり直しです。最初は、何が起こったのかと建築家は卒倒状態でした。 しかし、彼はこの場所をゆっくりと見ているうちに、なんと、自分が所属していた建築事務所を辞め、この近所に下宿を始めてしまったのです。本当にその土地に合った家をつくるなら、その場所に住んでみなければダメなのだと思い至ったらしいのですが、これには僕も驚きました。「僕は、度々現地に足を運んで欲しいとは言ったけれど、そこまでしてくれとは言ってないよ」と言うと、彼は「僕がしたくてしていることですから、亜門さんには迷惑はかけません」と言って、突然沖縄にやってきてしまったのです。僕としては、驚きながらも内心はとても嬉しい出来事でした。 彼曰く、家を建てるには、その土地の特性、歴史、文化などを実際に自分の足で歩き、自分の目で見て、肌で感じなければいけない。「風を感じている」という状態で約1年間この土地に住み続けたある日、「亜門さんできました」と、彼がもってきた設計図が…ペンでグチャグチャという感じで描かれたイラストでした。それを見た瞬間、「きたーーっ!!」と思いましたね。「君もとうとうおかしくなったな」と大喜びで言ってしまったくらい、ついに型にはまらないオリジナリティー溢れる設計図ができあがったのです。 |
亜門さん絶賛の完成予想図。(**)
|
|
――数百年ぶりに沖縄流地鎮祭を復活されたとか?
地鎮祭をする時に沖縄料理店を営む知り合いに「亜門さん、地鎮祭は大和(本土)流にする? それとも沖縄流にする?」と聞かれ、「それは、沖縄に家を建てるのだから沖縄流にしましょう」と答えたのです。知人は「そうね、わかった」と言いながら嬉しそうな笑みを浮かべていました。
当日、多くの知り合いの方を招き、沖縄流の地鎮祭を行うことになりました。そこに沖縄の新聞社が、何百年も途絶えていた沖縄流の地鎮祭復活の取材に来るというのです。こちらでも、地鎮祭は本土流で簡単にやるものらしいのです。「えっ? そんな、何百年も途絶えていた儀式だなんて僕は聞いてないよ! どっちがいいと聞かれたから沖縄流でと答えただけなのに!!」と言うと、「私たちが好きでやっているのだからいいのよ」と、地鎮祭のお膳立てをしてくれた知人たちは楽しそうに笑い、僕も民族衣装を着て沖縄流地鎮祭が復活したのです。 |
沖縄流地鎮祭が数百年ぶりに復活したいきさつを語る。
|
|
――とうとう、大好きな場所にご自身の家が建てられる感慨深い日ですね。
地鎮祭のとき、知人に「亜門さん、あなたはお金を出してこの土地を買ったかもしれないけれど、この土地はお借りしたと思って欲しい」と言われました。僕は内心、やはり本土から来た人間に対して、あくまでもこの場所は地元のものなのだという意識なのかな?
と考えましたが、そうではありませんでした。
「この土地は地球のもの。あなたはいつか命が無くなる。またこの家もいつかは朽ち果て、無くなっていく。皆いつか土に還っていくのだから、今はこの土地を地球からお借りして住んでいるという気持ちを持って大切にして欲しい」という言葉が僕の心にストレートに響き、とても嬉しかったのです。 ですから、今、僕はこの地を借りさせてもらっている。だから目の前の海をきれいにしたいとか、人が来たときに気持ちよく帰って頂きたいと自然に思えるのです。 今生きていることを感謝し、「地球からこの場所をお借りしている」という気持ちを常に大切にする。都会でせわしなく働いている時にはつい忘れがちになる気持ちですよね。 |
裏のお宅から景色を奪わないよう、配慮した屋根の高さ。現在は屋根に珊瑚を敷き詰め、海岸につながるように見せる工夫がされている。(*)
|
|
――施工期間はどれくらいかかりましたか?
約半年です。その期間は、舞台のスケジュールが入っていなかったこともあり、この家を建てることに集中しました。
庭に工事用の小さなプレハブを建て、そこに寝泊りしながら工事の様子を毎日チェックしたりして…、工事関係者にしてみたら迷惑な施主ですよね。日々工事が進む行程が嬉しくて楽しくて。まるで、大きな舞台を創り上げるような気分でした。とにかく、愛するこの土地にやっと完成した家ですから、お披露目の日に皆が来てくれたときには、感激して建築家と二人で号泣しました。 僕は、建物はそこに建っているだけでは、あくまでも単なる建物だと思うのです。しかし、そこに、人が入り、音が入り、笑いが入るというように、多くの想いが込められていくと家になる。舞台で言えば、セットができ、役者が入って初めて舞台ができあがるのと一緒です。 僕が感じるよい建築とは、人がいると美しく見える建物。お互いに絶妙なバランスをかもし出し、ふと人が出入りすると何とも美しく見える。本当によい建築とは人との共存が分かっている建物なのだと思います。 |
|
――オリジナリティー溢れるインテリアにもこだわりを感じますが。
インテリアは暇さえあれば家具屋さんに通うほど大好きです。
この家の家具や飾られている美術品などは、すべて自分でコーディネートしています。家のイメージに合わせ、沖縄のアーティストの方をはじめ、多くの方にお願いして作品を創っていただきましたし、建築中は、どこに何を置くかということばかり考え、表参道のアンティークショップに度々足を運び、家具やランプなどを見て回ったりもしました。
|
青山(東京)のアンティークショップで購入した大のお気に入りの扉。この扉が映える住まいにしたいという想いから、亜門邸の計画がスタートした。(*)
|
||
|
――内装などへのこだわりは?
この家は素材の力を活かした家にしたいと思ってつくりました。
例えば、床には琉球石灰岩を使用しています。これは首里城の城壁をつくったものと同様の沖縄の南部にしかない石で珊瑚です。側面からは、いろいろな魚や貝の形が残っていてとても美しく、磨くと光沢もでます。温かみのある感じが好きで、ぜひとも床には琉球石灰岩を使いたかったのです。 また、屋根には珊瑚を敷き詰め、海辺のイメージをつくっています。できるだけ自然に溶け込み、自然の邪魔をしない家が目標です。 この家は景色も含め、とても自然が強いため、加工することに不向きです。塗料を塗るというよりは、鉄なら鉄、木なら木を素材のまま組み合わせる、素材の力を活かす方が周りに溶け込める。素材本来の力を重ねてコーディネートしていくことが、額縁を切る景色と並ぶこの家のコンセプトです。 |
屋根に珊瑚を敷き詰めて自然との一体化を表現。晴れた日には海中にいるような心地になるトイレの天窓。(*)
|
|
――ここに居ると異空間にいるような心地になりますね。
僕は、プライベートでも演出的なものがたいへん好きで、常に居心地のよい空間の演出を考えています。その目的は訪れた人を心地よくさせたいということです。
僕の夢は、この家を訪れた人が帰りがけに「何か、心が軽くなった」、「ほんの少し幸せな気分になれた」と感じてくれる家にすることです。 そんな気持ちになれる家があったら最高ですよね。それが、この家をつくる最初の目的でもありましたし、家だけではなく、小さなインテリアに至るまで、人が心地よくなれる空間づくりができるよう、気を配っているつもりです。 ――人を喜ばせ、幸せな気持ちになってもらうことが喜びだと?
舞台を演出している時も「これがつくりたい、こうしたい」とは、言いますが、結局は幕が上がり、客席の後ろに立ち、客席と舞台上のキャストが作品を通して交流している状態を見た時に幸せを感じます。皆が楽しそうにしている姿を見ることが好きなのです。
この家に人が集まった時に僕が一番心地よい場所は、ダイニングを見渡せるキッチンです。皆が楽しそうに話しているのを後ろから見ているのが好きで、「亜門さん、真ん中に来てよ」などと人の輪の真ん中に座らされてしまうと、「頑張らなきゃ」と、力を入れなければならない。それよりは、楽しそうにしている人たちの姿を見ながら自身も幸せを感じていることが僕にとっては自然なことです。キッチンは、舞台を客席の後ろから見ているのと同じ僕の幸せな立ち位置です。 |
海につながるイメージで演出された通路には読谷村で作られた泡盛の壷が並ぶ。(*)
|
|
――亜門さんにとって沖縄での暮らしとは?
現在、東京、ニューヨークそして沖縄の3カ所を渡り歩く生活ですが、沖縄は、自分を充電させる場所だと思っています。ここに帰ってくると周りの人たちが皆「お帰りなさい」と言ってくれますし、一人静かに物を考える時間もあります。
東京もニューヨークも好きですが、常に仕事場が半分という意識は離れません。東京やニューヨークにいると、知らず知らずのうちに偏ってしまっている部分のバランスをここで取っている。「やっぱり人間てそうだよね」と、時の流れの速さに忘れそうな感覚をこの場所やここの人たちに教えてもらっている気がします。 ここにくると、自然の中の一部である人間という自分の存在を確認できる。ここは純粋に「僕の家」なのです。
亜門さんの書斎。窓枠の塗料はドイツから取り寄せたこだわりの色。(*)
|
|
――すっかり沖縄の人ですね。
ここに家を建てることはかなり悩みました。沖縄の海辺に住むなんて、人生最大の無鉄砲というか、事務所にも「今後どうやって仕事に通うのか」と言われましたが、この地に住んで本当によかったと思っています。
沖縄というと、楽園とか、リゾートというイメージが先行しがちですが、この島は歴史的惨劇のあった、大変な痛みをもった島でもあることを忘れてはならないと思います。とても苦い歴史を持つ中で、いろいろな人が生きている。大きな痛みを知った上で人に優しい。だからこそ、僕も大切にしたい場所です。 |
重い歴史を背負いながらも穏やかな表情をした海。
|
|
――亜門さんにとって「家」とはどんな場所ですか。
「家とは、人をつくり、環境をつくり、次の時代に伝えていくもの」だと思います。そこで休み、考え、自分自身を確認できる場所。
そこで人が生まれ、死んでいく、人の源のような所。それがすべてだと思います。 僕は、この家を終の棲家にし、ここで死にたいと思っています。部屋の中央にベッドを置き、大好きな海を見ながら皆に看取られて逝く。そんなふうに人生の幕を引けたらどんなに素敵でしょう。そう思いどおりに行かないのが人生ですが…。 |
亜門さんが人生最後に見たいという海。書斎からの眺めが絶景のビューポイント。(木枠の窓を閉めた状況)(*)
|
||
![]() |
|
(*) ©Tomoo
Kobashigawa
(**) ©後藤哲夫建築事務所 |