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sumu2 Guest Room [13] ライフスタイルプロデューサー 浜野安宏さん“家は常に移動し続ける我がノマド人生のベースキャンプ

「人生とは常に変化し移動し続けるもの」をポリシーに常に時代の先端を走り続け、世の中のニーズに先駆けたライフスタイルを提案するライフスタイルプロデューサー浜野安宏氏。時代や自身の生活環境に合わせて何度も住み変えをされた経験や、今やライフワークとして地球規模で楽しまれているフライフィッシングの話など、ご自身のライフスタイルについて伺いました。
[プロフィール]
ライフスタイルプロデューサー。京都府生まれ。日本大学芸術学部映画学科演出コース卒業。株式会社浜野商品研究所設立。フロムファースト、東急ハンズ、神戸ポートアイランド、横浜みなとみらい21ポートサイド地区等数多くの空間をプロデュース。1981年には、神戸ポートピア81とAXIS(アクシス)のプロデュースにより毎日デザイン賞受賞。1992年自分の創業した会社を退社し、浜野総合研究所と改名し新設。世界のクリエーター組織ティーム・ハマノ結成。主な著書は「質素革命」(出窓社)、「ライフスタイル系」(東急エージェンシー出版部)、「人があつまる」(ノア出版)、「さかさなみ」(廣済堂)ほか多数。

自分の行動範囲とライフスタイルを考えて “住む場所”を選ぶ

――幼少時代に住まわれていた家の記憶は?

僕は京都市内の生まれなので、幼少の頃は典型的な『町家』で育ちました。
若い人には、京都の町家はピンとこないかもしれませんが、沿道に面して細長く2階建ての家があり、屋内は吹き抜けの土間にワンルーム。それを必要に応じて襖などで仕切り、いくつもの部屋として使っていました。

――そこでの印象的な思い出はありますか?

敷地内にはかなり広いスペースが空いていて、僕は子どもの頃、そこに自分の畑を作っていました。坪庭や中庭といったスペースに遊びでというのではなく、かなり本格的な畑でしたね。
今思えば、その頃から都心部に生まれ育ちながらも自然と共生することが日常的に身についていたのかもしれません。

ご自身を「理由は分からないが、昔からなぜか時代の変化には鼻が利くタチ」だと語る浜野氏。

――学生時代はいかがですか?

大学進学のため東京で暮らし始めた頃は江古田に下宿していたのですが、新宿に近い場所に住みたくて、中央線の線路沿いにある代々木の4畳半のボロアパート暮らしをしていました。
当時は学生でお金もないし、新宿に近いなら多少の騒音も汚れも気にしませんでしたね。制約のある中で、自分が楽しく暮らすための環境を手に入れるには、優先順位をつけなくてはなりません。その場合、僕の優先順位が高いのは「場所」なのです。今でも部屋が広いとか狭いとかあまり気にならないタチで、それよりも立地を優先します。

――その後、価値観の変化に伴い、どのような変遷をたどられたのですか?

江古田、代々木から始まり、現在の自宅まで、かなり引越しをしています。
代々木のアパートの後は、大学在学中に友人と起業することになり、事務所兼自宅として原宿にマンションを借りました。これが人生初めてのマンション暮らし。それまでの部屋に比べたら広くておしゃれだったことを覚えています。その後、六本木、神宮前と事務所の移転や新規事業の開始などに伴って引越しを繰り返しました。
結婚後は、事務所と自宅を別にしようと成城に家を建てました。建築家が賞を取ったほど当時ではモダンな家でしたが、その後、独りになったので青山のアパートに引越しをしました。
この時、僕が青山に住んだことが、後に表参道やキャットストリートのプロデュースをすることにつながり、さらに現在の妻との出会いにもつながっています。
僕の場合、常に自分がその時に何をしたいのか、どんな生活をしていくのかを考えた上で住む場所を決めてきました。自分の生活があり、仕事があり、そのライフスタイルに合う街に住むといった感じでしょうか。仕事に疲れた時には、海外の大自然の中で暮らしてみたりしたこともありますから。

楽しく暮らす優先順位は、「場所」という。都心の一等地に建つ貸店舗兼住宅。


コンセプトは、 「京町家のDNAを持つ現代建築」

――現在のご自宅を建てられた経緯をお聞かせください。

実は、快適な田舎暮らしを夢見て、趣味のフライフィッシングを楽しみながら仕事は東京に通うといった生活を考えていた時期がありました。真剣に候補地を探していたのですが、結局日本で僕の理想の田舎暮らしを実践するのは難しいということに気づきました。
そこで、一転して都会に住もうと考え、青山近辺の土地を探していた時に、縁あって現在の土地を購入することになったのです。最初は予算オーバーでもあり、「土地を見るだけ」と思っていたのですが、現地に立った時、スポットライトのように西日が射してきて、その光に照らされた瞬間、妻と共に「ここだ」と思ってしまったのです。「青山3丁目の夕日」です。

京都の町家のDNAを生かしたという現在のご自宅。


――建築でこだわられたことは?

南西2面が道に開かれているという立地は京都の町家に通じるため、コンセプトを「京町家のDNAを持つ現代建築」として2人の有名建築家にコンペをお願いしました。その結果、北山恒氏に建築をお願いすることになり、現在の自宅が完成しました。
敷地の2面に道路があることや、細長い土地という地の利を活かし、京都の町家のように風が吹き抜ける空間をつくりたいというのが大前提の我が家。長細い四角い箱を重ねたような空間に仕上がりました。
基本的にワンフロア・ワンルーム。それをガラスや防音パネルなどの取り外し可能な仕切りで分けているので、両サイドまで風が吹き抜ける構造です。また、階段の踊り場に廊下を設け、京都の町家の通り庭をイメージした開放感のある空間づくりをしています。

京都の町家の通り庭をイメージした、階段と踊り場の開放的な空間。(*)


唯一の家族全員一致の希望、 「桜の木」が決め手で誕生した環境配慮の住まい

――北山氏のプランを採用された最大の理由は?

設計図としては、どちらの案も素晴らしかったのです。ただ、この家を建てるに当たり、唯一、家族全員一致の希望というのがありました。それが、「庭にある桜の木を残したい」ということでした。
もう一案は、残念ながらどうしても桜の木を切らざるをえない設計になっていたこともあり、北山氏にお願いすることになったのです。

あかりを当てる場所、色を変えるだけで、いつもの部屋が一瞬にして別空間に生まれ変わる。(*)

――“桜の木保存計画”以外の理由は?

スペースの使い方が上手いこと。そして、なんといっても自然な形で環境配慮がされていることです。
例えば、「なるべく自然に近いもの、天然素材を使いたい」という私の意見を活かし、床のフローリングにはアメリカの小学校の廃材、窓枠には亜鉛素材を使用しているほか、自称「浜野発電所」と名づけた太陽光発電の屋根や、天窓付きで断熱性や耐久性の高い温室でも使われる強化ガラス、暖気と寒気を転換するシステムをつけていることで、ある程度の室温調整もできます。さらに結露も防ぐなど、さりげなく、しかし綿密に環境配慮を考え実践した現代的な建築になっています。
現在、地下をオフィス、1、2階を商業用スペース、3、4階を住居スペースとしていますが、これは、あくまでも現状でのライフスタイルです。もちろん、この先住居として住み続けることを考え、バリアフリー、車椅子で動けるスペース、エレベーターは完備してあります。
ワンフロア・ワンルームのプランは、家族のライフスタイルが変わった時には、このスペースの使い方も住宅以外の用途に簡単に変えられます。可変性も含めて設計されている点はこだわりました。

屋根には、「浜野発電所」と名付けた太陽光発電が見える。(*)


――商業用スペースを作られた理由は?

やはり、2面道路に面することができる立地で、テナントの入り口と自宅の玄関を作れること、また、青山という土地柄、人通りも多いですし、商業施設が多いので、テナントとしての需要が高いと思ったのです。
僕の場合、自分の家というより、ひとつの新しいビルをプロデュースするといった感覚で、現在の自宅と貸店舗を含んだビルは『OmniQuarter(オムニクォーター)』と名づけた自主プロジェクトとして完成したのです。常に基本は、「○○するだけのもの」ではなく、職・飲食・住居が一体化した『フロムファースト』(※)のような複合体として考えます。
時代も、自分の生活も常に変化していくわけですから、今「いい」と思っていることがこの先どう変わるかわかりません。ですから、あらゆる可能性に対応できるベースを作ったうえで、自分のこだわりのテイストを加えることが大切だと思います。

※フロムファースト
浜野氏のプロデュースにより1975年に誕生したビル。SOHOの原型ともいえる、「働く」「遊ぶ」「住む」を快適にエンジョイできるようプランニングされたビル。「フロムファースト通り」に面し、そのネーミングからもわかるように、当時も今も注目を集める。

次なる夢は映画監督!! ライフワークであるフライフィッシングを通して環境問題に一石を投じた作品を構想中とか。


今やライフワークとなったフライフィッシング、 そしてナチュラルライフ好きが高じて誕生した100%エコ住宅

――お忙しい中、趣味の釣りも楽しまれているそうですが、仕事への好影響はありますか?

趣味というよりも、もう、ライフワークのようになっています。フライフィッシングが好きで、そのためにアメリカのワイオミング州に家を建てたくらいですから。
映画『リバー・ランズ・スルー・イット』に出てくるような山があり、雄大な川が流れるモンタナの牧場を、マスの産卵保護のために持っています。自然の中で暮らす素晴らしさを実感し、日本の子どもたちにも伝えていきたいと、1987年から8年に渡り、毎夏「浜野ネイチャースクール」といういわば、サマーキャンプのようなボランティアをしていました。
そこに私は、完全なリサイクル素材によるエネルギー自給の家を建てたのです。廃棄された車の古タイヤや空き缶などの廃物を利用したリサイクルハウス。電気、ガス、上下水道が完全に自給自足です。
ビーバースプリングスという美しい名で呼ばれる一帯には湖、後ろにはイミグラント山を中心としたアブサルカ山脈、イエローストーンリバーという大自然の中、この建物を校舎とし、子どもたちの感性や想像力を引き伸ばすためのプログラムの研究と実践を行っていたのです。
現在ネイチャースクールは休校中ですが、私は毎夏ビーバースプリングスを訪れ、自然と共生して多くの“気”をもらい、次の仕事へとつながる想像力を養っています。

浜野さんの憩いの場は、20年来、夏季休暇を満喫しているロッキー山脈を望む完全自給自足のエコハウス(アメリカ・ワイオミング州)。


――大自然の中でフライフィッシング三昧ですね。

そうですね。フライフィッシングは、アイスランドやシベリアにも遠征しています。僕にとってフライフィッシングは、体の中にたまった泥水を吐き出してくれる大切なものなのです。フライフィッシングをしていなかったら今のように仕事を続けられているかも疑問なくらいです。
今では、映画などでパロディーになっているバブル時代、多くのプロジェクトを抱え、疲れ果てている自分がいて、体の中にどんどん泥水がたまっていくような感覚を持ちながら仕事を続けていました。
そんな時、思い切ってアメリカの大自然に飛び込んでみると次第に活力がみなぎってきたのです。人も建物も風通しがよくないとダメだということでしょうね。

ライフワークのフライフィッシングで、地球をくまなく歩いた。(**)


ハードとしての家に欠かせない空気の流れ ソフトとしての家に欠かせない変化という進化

――多くの家や建物にかかわってきた浜野さんが考える、家に必要なハード面、ソフト面とは何でしょう?

ハード面では、できるだけ目立たずに自然と共生すること。オムニクォーターは十分目立っているかもしれませんが…。あとは、空気の流れる家であることです。常に空気が流れていて滞らないことは大切です。
ソフト面では、「どうにでもなる」ということが大切です。人の好みや意識は変化していきます。僕はその変化を大切な進化だと考えていますから、自分の感覚が変わったときにそれにあわせて変化させることができない状態では困ります。
現在、人は欠乏から解放され、欲望の中に生きているようなもので、常に新しいものを求めています。ですから、可変性のある考え方を持ち、対応できる状態をつくることですね。かといって、安っぽいものはだめです。どうせつくるなら基本はしっかりと、そして変化に対応できるようにということです。

ご自宅も京都の町家風の自由に仕切れるワンルームで、可変性に富む。(*)


“浜野流”素敵なライフスタイル演出法 〜常に「今」を楽しむこと

――ご自身のライフスタイル演出法を教えてください。

常に今を楽しむこと。「将来のために」とか、「いつか」といったことを考えても、今を生きていなければ楽しい将来もないと思うのです。年をとり、遊び方も知らず、体力もなくなってから好きなことをするといっても何もできない。だったら、今やりたいことをやらないと損でしょう!!
僕の場合は、思い切り遊ぶとその遊びから仕事のイメージや幸せが舞い込んでくる。好きなことをすれば結果はついてくると信じ、それが今のところ実践されているので幸せなのだと思います。 “アクティブに、ポジティブに、クリエイティブに”が、僕のポリシーですから。

――今後提案したいライフスタイルはありますか?

やはり、地球環境のことを少しでも考えていく生活ですね。
「地球は限界を超えた」という説もありますが、環境の悪化を少しでも遅らせる努力を皆がしたら、その間に何か改善策が生まれるかもしれない。「限界を超えたならもうどうでもいい」ではなく、「小さなことでも配慮をしていこう」という前向きの世の中になってほしいと願います。


家とは常に変化し続ける人生のベースキャンプ

――最後に、浜野さんにとって「家」とは?

僕は、人生とは常に変化し続けるものだと思っています。人の後を追うのではなく自分の鼻を利かせ、自分の行く先を決める。だから、家はその時々の拠点、通過点に過ぎない。いわば、ベースキャンプのような場所です。

「人生とは常に変化し移動し続けるもの、だから家はその日の休息をとるためと、思考をまとめるためのベースキャンプ」と語る浜野氏。

「川とともにただ在ること」という浜野氏の人生観を表した言葉。


(*)写真は、Peter M.Cook
(**)写真は、残間正之

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