情報収集の最前線基地・東京と、家族と暮らす故郷・福岡という2つの拠点を住み分けて活躍する人気マンガ家、倉田真由美さん。コメンテーターとして歯に衣着せぬ発言にテレビでもファンが多く、本業以外にテレビ出演、雑誌への寄稿などでも活躍されています。超多忙の生活を支える原動力となっているのが、東京と福岡のマルチ・ハビテーションスタイルと、最愛のお子さんの存在です。流行語となった連載マンガ『だめんず・うぉ〜か〜』のヒットをきっかけに、“くらたま”の愛称で知られる人気マンガ家に。そんな倉田さんの住まいへの思いや子育てなど、“くらたま”流ライフスタイルを語っていただきました。
マンガ家。福岡県生まれ。一橋大学商学部卒業後、ヤングマガジンギャグ大賞を受賞し、マンガ家デビュー。ダメ男を好きになる女たちを描いた『だめんず・うぉ〜か〜』がブレイクし、「だめんず」が流行語にもなり、テレビドラマ化もされた。現在は両親とお子さんが住む福岡と東京の2つを拠点に、マンガ・エッセイなどの執筆活動のほかにテレビ・ラジオ出演、トークショーと多方面で活躍。『SPA!』(扶桑社)での連載をはじめ、主な著書に、蛭子能収氏との共著『くらたまのえびす顔』(ゴマブックス)、『だめんず・うぉ〜か〜』(扶桑社)、『うさたまのいい女になるっ!―暗夜行路対談』(共著、講談社)ほか、多数。

――子ども時代を過ごされた家にはどんな思い出がありますか?
生まれた頃は、両親が若い頃に賃貸で借りていた4畳半一間の狭い木造アパートです。その後、父が福岡市内に一戸建ての家を注文住宅で建てたのです。3歳くらいのときに、その新居へ引越しました。
設計のプロでも何でもない父が間取りを決めた家だから、不思議な間取りの家だというのを子ども心にも感じていました。今思えば、動線が考えられていなかったんですね。例えば、お風呂とトイレの位置が、家の対角線上にあって、離れているんですね。ただでさえ遠いのに子どもの歩幅ではなおさらですよね。
どういうわけか、一般住宅ではあまり見かけることのない、男性用のトイレも併設されていたり…、でも、父の思いが詰まっていたのは確かだと思います。今も両親と私の子どもの4人と愛犬1匹でその家に暮らしています。
――お気に入りの場所はありましたか?
子ども心をくすぐられたのが、納戸です。当時、友達の家では見たことがないような4畳半くらいの広い納戸で、薄暗い空間は、居間やほかの部屋とは違う面白い空間でしたね。
納戸ですから、季節ごとに使うものや特別な行事の時に使われるものなど、普段は使わないようなものがいろいろ積み上げられていました。何があるというわけではないのですが、ちょっと変わったものがあるというのも子どもの頃の私にとって、とても魅力的だったんだと思います。高く積み上げられた物陰に隠れたりして遊ぶのに格好の場所で、面白い空間だったのを覚えています。
今思えば、不思議な間取りの家だったと話す倉田さん
自宅の庭で盆栽裏に潜む愛犬の姿は、倉田さんお気に入りのショット。(*)
――宿題や勉強は、どんな場所でされていましたか?
自分の部屋ですることもありましたが、人の集まる居間のこたつで勉強をしていることが多かったですね。今でも仕事をするときには、ファミリーレストランや喫茶店などの人の集まる場所をよく使っています。
自分の部屋などの個室や、自分一人だけだとサボってしまうんです。大好きな本やマンガを読んだり、昼寝をしてしまったり…。そうは言っても、さすがに深夜の時間帯に仕事をするときは自宅で仕方なくやりますけど、パソコンでゲームを始めてしまったり、どうしても気が散りやすいですね。BGMのように人の話し声や雑音があるほうが集中できて仕事もはかどります。
中学・高校時代は、寝る間も惜しんで勉強したことはありませんが、大好きなマンガを描く時は必ず自分の部屋で描いていました。受験生の時も勉強そっちのけで相変わらずマンガを描いていました。両親には、わりと自由に好きなことをさせてもらっていたのに、受験の時だけは、「そんなもの描いている暇があったら勉強しなさい」っていつも怒られてしまいましたね。
――大学受験では、受験のほかにも東京でなければならない理由があったそうですが。
実は、大学受験は二の次で、目的は好きな出版社に私の描いた原稿を見てもらうことでした。それが一番の目的でしたから、地元の福岡でも大阪でもなく、東京以外の大学を受験するという選択肢はありませんでした。
受験で上京してすぐに出版社に原稿を持ち込みました。あっさり原稿のほうは落ちてしまいましたが、受験のほうは無事に合格し、福岡に留まることなく、東京に住めて、しかも一人暮らしをできる正当な理由ができたのです。もともと自由にさせてくれる両親でしたが、何も言わずに東京に行かせてくれたことは、ありがたかったですね。
――憧れの東京ではじめての一人暮らし、印象深い思い出はありますか?
本当に好きなように、のびのびと暮らしていました。当時は、大学に近いワンルームの賃貸アパートに住んでいました。都心ではなかったので、家賃もそこそこで9畳くらいの広さはあったと思います。
物に執着するタイプではないのですが、はじめての一人暮らしだったので、さみしいかと思って、友人からもらった大きなうさぎのぬいぐるみを持って上京しました。一人暮らしをしたいと思った時に一人暮らしができたのはよかったですし、楽しい経験でしたね。
――インテリアに凝ったりしなかったのですか?
家具とかは機能性を重視していたため、あまりにも統一感のないインテリアだったと思います。当時、使っていたベッドは、機能性から柵がついているのを選んで購入しましたが、実際に使ってみると、柵が邪魔になってしまい、ベッドに座りづらくてね。子どものゆりかごのようで見た目もカッコよくなかったですね。
家具に関しては、これは成功したなっていうものは今まであまりないですね。 本棚やタンスなども安い物を買ってしまい、引き出しの数も収納量も足りなかったり…。
――ほかには何か失敗したものはありますか?
電話ですね。何度も買い直しをしています。当時は、自分の声で留守番電話を入れるのが流行っていました。ところが最初に買った電話には、この機能がついてなかったんです。
それで、「これはいかん」と思って、新しいものを買ったにもかかわらず、今度は自動音声の機械音の留守電メッセージが流れるタイプで、自分の声を入れられるタイプではなかったのです。それが嫌で、すぐに買い替えました。安くないのに、ムダなお金の使い方をしていましたね。
何も言わず自由に一人暮らしさせてくれた両親はありがたかったと語る倉田さん。
今でも自宅の本棚にはマンガや、実用書などを多数所有。(*)
――卒業後、引越しを経験されたそうですが、印象深い部屋は?
学生時代はワンルームで十分でしたが、仕事柄、家で仕事をすることも多く、ある程度の広さの確保が引越し先を探す必須条件でした。
それで見つけたのが、“駅近”“2DK”“バス・トイレ別”のアパートでした。聞こえはいいのですが、借りた部屋は1階で、ものすごくジメジメしていました。高い塀に囲まれたアパートで、日差しも入らないような環境で一日中電気を使わなければ暗い部屋でしたね。
とにかく湿気がものすごくて、マンガや本にカビが生えてしまい、全部ダメになってしまいました。湿気取りなどを置いても、問題は解決できなかった。窓から見える庭もジメジメしていて、雑草だらけで、とても庭に出られる状態ではありませんでした。 外観がピンクに塗られたアパートで、普通の女の子なら住みたくないと思うような所でしたね。
――そこからの引越しは考えなかったのですか?
その後、銀行員の彼氏ができて、「こんなジメジメしたところになんか招くことができない」と思い、引越しを決意しました。都心からは離れましたが、6畳、4畳半のある2DKでわりと広く、鉄筋コンクリートの7階建てマンションで、日当たりも外観も悪くない。
でも、真横に線路が走っていました。だから、一日中、駅のアナウンスが聞こえてくるんです。ところが、人間って、規則的な騒音には慣れるものなんですよね。住んでいくうちに、全然気にならなくなりました。人の声や大声などの不規則な音は、なかなか慣れないらしいですが、駅のアナウンスや電車の走行音はもう規則的でしたから平気でした。 湿気でジメジメのピンクのアパートと騒音のマンションのこの2つが印象的でしたね。

湿気でジメジメのドピンクのアパートと騒音のマンションの2つが印象的な部屋だったと話す倉田さん。
――現在の東京の拠点になっているアパートの間取りは?
6畳2間にキッチン4畳の2Kです。
でも、宅急便を受け取れないくらいにいないですね。あまり住んでいないからか、生活感もなく、雑然とした物置みたいになってしまっています。
基本的には、福岡に住んでいますから、東京にいる時は、取材を受けたり、自分が取材をしたり、あとはマンガ喫茶で仕事をしたりとか、外出していることのほうが多いですね。東京で週の2日から3日を過ごして、それ以外は、福岡にいます。福岡でも、仕事はできますし、東京では情報を集める感じですね。
テーブルで仕事をするときの机まわり。仕事に欠かせない愛用のパソコン。(*)
――マンガの題材になる情報収集はどのようにされていますか?
そうですね、友人を介しての情報と、まったく知らない人を取材する場合の半々です。話を聞いて描くのは半分くらいですね。
スタイル的には、取材の方がおもしろいんですけど、当たり外れも大きいですね。正直言って、そんなに面白くなかったというのも多かったですね。友人がらみで、「あの人面白いよ」っていう情報のほうが、あてになりますね。
まったくの初対面だと、「はじめまして」から始まり、一方通行の話しか聞けないじゃないですか。その人のバックグラウンドとか、全然わからないので、そこからの話ししかわからないけど、共通の知人がいる場合は、その知人との関係性を含めて、ああ言ってるけど実はこうだよってことが分かるので、そこからネタが広がりますね。
知人との関係性も含めてネタが広がると語る倉田さん。
――マンガを描く時のこだわりはありますか?
普通のマンガで使われるGペンではなく、ギャグマンガで使われることの多いミリペンを愛用しています。少女マンガを描いていた頃は、Gペンを使っていましたが、編集を担当してくださっている方から教えてもらって以来、ミリペンを使っています。
もう一つのこだわりが、原稿用紙です。週刊マンガ雑誌「モーニング」専用の原稿用紙を使っています。どこの出版社の編集部でも自社専用の原稿用紙を作っていますが、私にとって使いやすいのが1mm単位で細かなメモリの入っているこの原稿用紙です。
普通の原稿用紙は、5mm単位のものが多く、台形などのコマを描くときは便利かもしれませんが、マンガのコマを正方形で描くことの多い私の場合、ミリ単位のメモリが重要になってきます。原稿サイズも変えやすいなど、この原稿がなくなってしまったら…作品に影響が出るかもしれませんね。
くらたまマンガに欠かせない、ピグマのミリペンと「モーニング」の原稿用紙。倉田さんが「なくなったら作品に影響が出てしまう!!」というほどのお気に入り。
――現在、東京と福岡の2拠点を住み分けられていますが、仕事のONとOFFは住むエリアで区切られるのでしょうか?
私のような自由業の場合、完全なOFFはないですね。OFFのような時にも、絶えず「これネタになるかな」とか原稿のことを考えています。見た目のONとOFFは、化粧しない、めがねを着用するなどの落差はありますが、家族で旅行に行っても、子どもかマンガのネタか、どちらかが頭の中を占めていますね。
愛用のめがねは、地元の生活では欠かせない必需品。(*)
――東京・福岡の移動には新幹線を使われることが多いそうですが。
飛行機も使うことはありますが、新幹線が好きです。新幹線の中は自分にとって自由な時間を保てる空間なんです。寝てもいいし、ゴハン食べてもいい。移動中という大義名分があるから、その時間がすごく好きですね。
移動の時間も仕事はできますけど、「揺れるしね」って自分で言いわけを作って、新幹線での移動中は、リラックスした時間と空間を楽しんでいます。
――東京と福岡を往復するお母さんのことを、息子さんは何か言っていますか?
まだまだ、すごく甘えっ子ですけど彼は、私のことが大好きですね。私が心に余裕を持って育てられているからかもしれません。
仕事をしながらの生活ですから、私の両親が子どもの面倒を基本的に見てくれています。子育てのストレスからはだいぶ解放されて、仕事に集中できるなど、本当にありがたいですね。親の協力があって、子育てのストレスを感じないから、子どもに当たることもなくすんでいます。
夕日を眺められ、子どもや犬との散歩でもよく行く、地元の新宮海岸。とても落ち着くスポットだとか。(*)
――マルチ・ハビテーションはこれからも続けられるのですか?
意識的にそうしたわけではないのですが、年を重ねて、自分が楽な所で暮らしたいと思うようになりましたね。ちょっと寂しいかもしれませんが、もう都会の楽しさとか、いろいろな人と会う楽しさとかっていうものに、少しお腹いっぱいになってきている感じがあります。
人と会うことで嫌なことや摩擦があっても、いろいろな人間関係の中で楽しいことも強烈にあると思います。実家のほうで、のんびり暮らしていると仙人みたいですからね。俗世を切り捨てたような生活をしていますよ。絶対に化粧なんかしないし、めがねで歩くし、自転車でスーパーにも買い物に行くし。それがすごく楽なんですよね。なんか、そういう生活をしていると、東京に戻りたくなくなるんですよね。
ただ自分で本当にそのままでいいかって考えると、それもやはり恐いんですよね。 あまり気が抜けてばかりになってしまうとよくないので、今のところは、東京生活は継続したほうがいいんじゃないかと思っています。
倉田さん手料理のラーメンと肉野菜炒めは、息子さんのお気に入り。ラーメンはいりこや肉から出汁を取り、スープから作った本格派。(*)
のびのびした文字の踊るようなサインは、カワイイ自画像(?)付き。
倉田さんのヒット作の最新刊。 今回は、くらたまの秘蔵写真が収録され、セーラ服や、コスプレ姿は必見。 『だめんず・うぉ〜か〜』(扶桑社)